お漏らし観察記〜お漏らしフェチ撃沈…「わざと」じゃ意味がない理由〜
皆さん、こんにちは。
デートで観たい映画は内容よりも長さで決めます、膀胱えんです。
(映画館は絶好のおしっこ我慢スポットですからね♡)
さて、今回は「お漏らしフェチ」ということで勘違いされがちなポイントを、しっかり訂正させていただこうと思います。
今回のテーマは「わざと」のお漏らしでは全く意味がない理由についてです。
勘違いされがちですが、「お漏らしフェチ」にとっては超重要な問題なのでよく理解して下さいね。
(ただし、個人差はあると思いますよ!)
非日常が味わいたい
「お漏らし」の魅力は溢れ出る「非日常感」です。
本来であればトイレで、人目のない状況でするはずのおしっこをトイレ以外の場所で、シチュエーションによっては人前でしてしまう「お漏らし」って日常ではありませんからね?
その「ありえない」という感覚がこんなにも夢中にさせてくれるのでしょう。
むしろ「お漏らし」が日常になってしまう世界なら、こんなにドキドキはしていない気がします。
繰り返しますが「お漏らし」の魅力は「非日常感」です。
日常的に「お漏らし」している男性がいたとしても、「お漏らしフェチ」の心拍数は正常値の範囲内でしょう。
(それに「わざと」じゃないなら、普通に心配な気持ちが勝ちますよ。)
恥じらいが見たい
多くの「お漏らしフェチ」が見たいと願うのは、「お漏らし」自体よりもその前後の「恥じらい」や「焦り」だったりするもの。
普段は堂々としている男性がもじもじくねくねおしっこを全力で我慢する姿や、その我慢虚しくおしっこをお漏らししてしまった後の恥じらいに魅力を感じています。
(…もちろん「お漏らし」も見たい気持ちはありますよ。)
でも「わざとのお漏らし」ではその恥じらいや焦りがどうしても薄くなってしまうもの。
元々お漏らしするつもりなので、そこに焦りはなく、回数を重ねてくると恥じらいは薄れてしまいますからね…
AVの演技を見破るかのごとく、それくらいは簡単に見破ることが出来るのが「お漏らしフェチ」です。
恥じらってるのが演技だと気づいた途端に、逆に冷静になってしまいます。
リアルな「お漏らし」の魅力
「お漏らし」の魅力はこうしてコラムを書き続ける程にたくさんありますが…
その中でも重要なのは「リアリティ」です。
非日常感に溢れている「お漏らし」と正反対の「リアリティ」をいかにして上手く共存させるかが永遠の課題とも言えます。
そしてそれを追求するのが、「お漏らしフェチ」の楽しみでもあるんです。
現実に起こり得ないことが起こってしまうという非日常感は「わざと」では味わえませんよ。
「お漏らしフェチ」を知られたくない
コラムで大々的に「お漏らしフェチ」について語っている私でさえも、日常では「お漏らしフェチ」であることを隠して過ごしています。
理由としては、リアリティのある「お漏らし」を目撃したいということもありますが…
やはり一番は「知られたくない」という気持ちが強いです。
「わざとのお漏らし」で喜ぶと思われてしまうのも心外ですが、「あなたのフェチ知ってるよ!」という時点で既に「お漏らしフェチ」は撃沈してしまう可能性が高いです。
(個人差はあると思いますが…)
リアリティが何よりも大切!!
さて、今回は少し注意喚起的な意味も込めて熱く語らせていただきました。
誤解されがちなポイントばかりでしたが、正しくお伝えすることが出来たでしょうか。
もちろん「お漏らしフェチ」全員当てはまる訳ではなく…
あくまで私のこだわりになってしまっているので、いつか皆さんのこだわりポイントについても詳しくお伺いしたいものです。
次回は「お漏らし大興奮シチュエーション【彼の家編】」についてお話しします。お楽しみに!!
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