皆さんこんにちは、潮田水音です。すっかり秋ですね。秋通り越して冬が来るのが早すぎな気もしますが、涼しくて過ごしやすい日々になって嬉しい限りです。さて、秋といえば芸術の秋!ということで、本日は芸術とBLの交差点たる歌舞伎の歴史に迫ってイこうと思います。

歌舞伎の歴史

江戸時代にはかぶき踊りが大流行。創始者は出雲阿国と呼ばれる女性で、その内容は茶屋遊びを描いたなかなかエロティックな踊りだったそうです。そしてエロい踊りが風紀を乱す!ということで早々に「女歌舞伎禁止令」が発令されます。そんな中で生まれたのが、美少年が歌って踊る若衆歌舞伎。男色を好む僧や武士を客の中心として大繁盛でした。

繁盛しすぎて遊女や芸奴が男装することもあったとか。なんか本末転倒感ありますが売れればヨシ!なのかもしれません。

しかしそれで納得しないのが時の政府。女歌舞伎禁止したのに風紀乱れっぱなしやないかい!!むしろ美少年がエロいダンスしてるってんでさらに怪しいわ!!ということで「若衆歌舞伎禁止令」を追って発動。さらに「役者全員前髪を切れ!切らないと公演させんぞ!」と脅しをかけます。なんで前髪なのかというとショタの証だったからですね。時代劇なんかでよく見るちょんまげ状態にしてショタみを無くしてしまえば風紀の乱れを守れると思ったのでしょう。

しかし、そこで終わらないのがHENTAI国家日本。野郎歌舞伎と名前を変え、前髪全剃りしたところに布を充てて舞う美少年の美しさに男色好き共は抗えず、野郎歌舞伎も大流行し、風紀は結局乱れっぱなしだったそうです。

男色の聖地・陰間茶屋

さてさて、役者がお客を取るスタイルは若衆歌舞伎の頃からあったものですが、陰間茶屋では舞台に出る若衆を「舞台子」、舞台には出ずに身体を売る専門の若衆のことを「陰子」と呼んでいました。「陰子を抱えて売る宿」だから「陰間茶屋」というわけです。もともとは俳優兼男娼を抱えていましたが、陰間茶屋という商売のスタイルが確立されると身体を売る専門の子が増えていったそうです。

有名な陰子は錦絵になって江戸中の評判になったとか。江戸時代に男の娘のブロマイドが全力で売れてるってやっぱすごいな。よほど人気があったのでしょう。そして男色を嗜む住職が「女道とハちがふてしつくりとしてよいよい(超意訳:女のまんことは違って締まりが良くて良い!良い!)」とか言ってる本(江戸時代の艶本『女大楽宝開』より引用)も残っています。見た目が美しいだけでなく、美少年とのアナルセックスはよほどキマるものだったのかもしれないことが窺えます。

さて、今回のコラムでは歌舞伎と陰間茶屋からの男色について見ていきましたがいかがでしたでしょうか。今回紹介した組み合わせの他にも、義兄弟の男色や寺子屋の師匠と教え子など「王道カップリング」とされるものは多数存在していたそうです。またそちらも紹介していけたらいいなーと思いつつコラムを〆ようと思います。また次回お会いしましょう~!!

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潮田水音

文学と歴史をこよなく愛するクソオタク。 二次元も三次元も愛してる。 知識を付けることで興奮するド変態が沼の底からお送りします。

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