みなさんこんにちは!性に興味津々なあまり、10代の頃から調べに調べて眠れぬ夜を過ごしてきたアラサー女momoです。

manmam読者の皆さんは、乱交って経験したことありますか?
エロを楽しんでいる読者の皆さんの中には、経験済みの人もいるかもしれませんね。
残念ながら、筆者は経験がありません。

現代ではタブー視されがちな乱交ですが、実は、昔は日本でも一般的に行われる行為だったともいわれています。

今回は、そんな昔の日本の”乱交の歴史”についてご紹介します!

日本最古の乱交の場「歌垣(うたがき)」

日本で最も古い乱交の場として記録に残っているのは、毎年春や秋に行われる「歌垣(うたがき)」という行事です。

穀物の実りを祝うために山に集まり、飲食や歌の掛け合いを楽しむ宗教的行事なのですが、同時に、男女の出会いの場ともされていました。
「繁殖行為は植物にも存在する」という無理矢理な解釈により、その場に集まった男女の性の交わりも許容されていたのだそうです。

時代の流れとともに実りの祝いという概念は薄れ(おいおい…)、性の解放や求婚を目的として、若い男女が集まる行事に移り変わっていきます。
この歌垣での交わりが、日本での乱交パーティの起源といわれているのです。

そりゃ、年に数回堂々と自由にセックスできる日だー!!となれば、本来の目的など忘れてしまうのが人間というものですよね。わかるわかる。

さらに「万葉集」には、高橋虫麻呂という歌人が詠んだ
「人妻と我も交わらん 我が妻も人から誘われよ」
という歌垣に関する歌が載っているのですが、この歌を現代語訳すると
「私は人妻を抱こう。我が妻も誰かに抱かれよ」という意味合いになります。

この歌が真実であるのなら、歌垣では既婚者も含めて乱交パーティが楽しまれていた、いわば公認不倫もできる場だったということ。

歌垣での男女の様子については「古事記」や「万葉集」の中で触れられていますが、具体的に記載されている文献は非常に少ないのだとか。
内容が内容なだけに詳しく書けなかったのだろう…と思うと、いやらしさが増しますね。

盆踊りは乱交パーティ状態だった!?

さて、時代が流れて平安時代中期になると、仏教を広げるために歌って踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」が起源となり、盆踊りの文化が始まりました。

盆踊りといえば、今でも夏の風物詩として楽しまれるイベントですよね。
実は盆踊りも、昔は歌垣のような男女の性的交流の場となっていたのです!

当初の踊り念仏の目的は、念仏を唱えて激しく体を震わせることによって、宗教的エクスタシーに達すること。その踊り念仏が大衆に取り入れられて誕生したのが、盆踊りだったといわれています。

盆踊りの夜は、年齢も身分も関係なく、様々な男女が出会える貴重な機会です。
暗がりで踊っているという非日常感、開放感や高揚感もあり、徐々に、出会った男女が自由奔放にセックスを楽しむ場へと変化していきました。

お祭りの夜って解放的な気分になって、好きな人と出かけようものなら、後半はセックスのことで頭がいっぱいになってしまいますもんね…
きっと昔の人々も同じ思いだったのでしょう。

そんな盆踊りでの乱交文化は、江戸時代になるとさらに盛り上がります。
中には、正体を隠すために全員が覆面をかぶるという、匿名性の高い新しい形式の盆踊りを始める地域もあったといいます。

お互いが何者かもわからないという興奮や、覆面で羞恥心が消え去る効果もあり、より一層、派手な乱交パーティが楽しまれたようです。

覆面をかぶって踊り狂って乱交パーティとは。昔の日本人ってば、大胆―!!
昔は、子孫繁栄が最も大切でおめでたいことだという意識が高かったこともあり、セックスに対しても寛容だったのかもしれませんね。

盛り上がっていた盆踊り(乱交パーティ)ですが、明治時代に西洋化が進むにつれて、”世界に恥をさらす”という理由で、次々と禁止令が出されてしまいます。
警察の取り締まりの対象になるケースもあり、徐々に乱交文化は終止符を打つこととなってしまいました。
そして残ったのが、現代も続く、純粋に踊りを楽しむための盆踊りなのです。

こうして歴史を知ると、昔の祭りや行事からは、隙さえあればセックスを楽しもうという気合いが感じられます。

「歌垣」は日本だけでなくアジアの国々でも似たような風習があるといわれているので、時代も世界をも超えて、セックスもはや人類共通の最大の娯楽なのでしょう。

現代の日本も、さすがに盆踊りで乱交パーティをしろとは言いませんが、もう少しセックスに対してオープンな世の中になってほしいものですね。

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momo

頭の中はエロいことでいーっぱい!! 「性の伝道師」と呼ばれた青春時代。 アラサーになった今でも、溢れる欲求と好奇心。 性に貪欲なライターです。

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