あやまんJAPANユース、丑三つ時に現れる六本木の座敷童子よしえです。わたしのこと見えてますか〜?

この度、あやまんJAPANがWebメディアを始めることになりました。
その名も『manmam』というおもエロをテーマにしたもの。
各々が表現したいことや特化しているものをライターとして書いていこうという。

あやまんJAPANのメンバープロフィールを見ていただくとおわかりの通り、わたしのユースネームは「よしえ」というほどに他のメンバーに比べてインパクトが弱い。
実際に会った人に「あやまんJAPANっぽくないよね~」と言われることも少なくないし、まあ、そうだよなと自分でも思う。

そんなわたしがあやまんJAPANユースの中で唯一際立つものがあるとするなら、お酒と夜遊びくらい。
それくらいしかないので二十代はほぼほぼ飲み屋で働いてきた。振り返ればただのプー子。割とクズよりの人間です。ちなみにプー太郎の女性版をプー子というらしい。

【あやまんJAPANとの出会い】

あやまんJAPANメンバーと出会ったのも、六本木にあったあやまん監督のお店「ロクスタ」でバイトを始めたのがきっかけだった。ちなみにロクスタとは、六本木スタジアムの略で(埼玉スタジアムを埼スタというように)六本木で試合をする場所という意味らしい。当時あやまんJAPANは、飲み会のことを試合と呼んでいたのでこのような名前にしたとのこと。

記憶の限りでは《六本木!芸能人プロデュースの飲食店!シフト自由!》みたいな求人だった気がする。面接に行って初めてあやまん監督のお店だと知った。

当初のロクスタは六本木の中でも栄えてるとされる3丁目エリアにあり、とあるビルの地下にある会員制のお店だった。
下ネタが好きなわけでもパリピなわけでもないわたしがあやまんJAPANなんて無縁だと思っていたが、こりゃネタになるわ、なんて軽い気持ちで働いてみることにした。

お店はネタ班とお酒を作ったりする接客班に分かれていて、ネタ班の方が時給も少しばかり高かったものの、ネタをするのはさすがにハードルが高いので接客班に。
ロクスタに入る前は、ゴリゴリ水商売を経験してきたお姉さん達に囲まれて地元のスナックで2年くらいバイトしていたのでお酒や夜のノリには多少の免疫はあったのだけど、ロクスタでいざ働き始めたら全くの別物だった。エグい…。ぽいぽいですら当時は引いていたと思うが、特にドン引きしたネタが、魔法の天使クリィミーマミというアニメの主題歌『デリケートに好きして』を使ったパフォーマンスだったと思う。もちろんアニメは魔法少女が活躍する可愛らしいお話だったのだが、あやまんJAPANの手にかかるとこんなゲスい歌になってしまうのかと。あやまんJAPANには、本当にテレビでは流せないようなネタがたくさんあるのだ。いや、流せないネタがほとんどであった。
あやまんJAPANのネタを目の当たりにし、こんな六本木のノリなんて無理だと3日で辞めたくなった。即、次のバイトを探すも、クズ寄りの人間には次のバイトは中々決まらない。当時、ライブハウスのバイトも掛け持ちしていたがバイト故に社員さんほどシフトに入れてもらえず、渋々ロクスタで働いた。

唯一の救いは常連のお客さんが良い人だったことだ。どこのお店もそうだが常連客というのはその店では良い人なことが多い。別の場所で会うと豹変するほど変わる人間もたまにいるので、あくまで「その店では良い人」という言い方をさせてほしい。

例えば、あやまん監督が師匠と仰ぐ初代あやまんJAPANメンバーのあさみさんは、一見恐そうで酔うと大暴れして服をめくって胸を見せてきたりキス魔になるけど意外と優しかったし、ギラギラしたザ・業界人のイメージがあったavex社員のお客さん達も、見た目によらず良い人ばかりで、ロクスタに入ってからわたしの中のavexのイメージは変わった。
ロクスタで働くようになってから、この人とは合わないだろうという勝手な先入観が緩和していった。

思えば地元のスナックでも土方系の人とは合わないだろうと思っていたけど案外話せるようになったし、接客業をしているとある程度誰とでもと話せるようになるとはこういうことなんだなと感じる。

あやまんJAPANのネタに挑戦

渋々ながらもなんだかんだ1ヶ月ほど働いていたが、営業中お客さんからの「何でこいつは何もしていないんだ」といった視線がたまに気になって、これがまた居心地の悪さに繋がっていた。お客さんからすればネタ班も接客班も関係ないのでしょうがないのだが、こういった視線を感じる度に居たたまれなかった。

なので思い切ってネタ班に挑戦してみることに。
まずは基本のぽいぽいパフォーマンスから。お店が暇な時に練習し、「出来るようになるまで練習して」とあやまん監督直々に指導を受けた。毎晩私たちが何回もぽいぽいしてるの見てるんだから出来て当たり前でしょといった感じだった。あやまんJAPANは実力主義で、試合という名の飲み会を夜な夜なやっていた頃から、結果が出せる子しかスタメンに入れない。あやまん監督からしたらぽいぽいすら出来ないわたしなんぞ論外だったのだろう。まさに見えてすらなかったと思う。恐かった。
今なら理解出来るが、当時はあやまんJAPANのこともよく知らず、ロクスタというフィールドに立つマインドもなかったのだ。誰でもいいから早くお客さん来てくれと願いながら練習した。

辞めたい思いも変わらず、羞恥心も捨てられなかったので結局は接客班のままでいることにした。

あやまんとよしえとCocco

あやまん監督にも意外な一面があった。

この日はお客さんが少なくカラオケで好きな曲を歌おうといった流れになり、あやまん監督はCoccoさんを歌ったのだ。わたしもCoccoさんが好きで、2人で何曲か歌った。あやまん監督は、「Coccoが好きな人はみんな一度は病んでるから」と言っていた。その真偽は別として、あやまん監督に一気に親近感が湧いた瞬間だった。

ちょうどこの時期、Coccoさんの初舞台があり、観劇したいと思ったものの全くチケットが取れず。その舞台の出演者の方とあやまん監督がお知り合いと知り、ダメ元でチケットが取れないか聞いてもらったところ、なんと購入することが出来た!あやまん監督に感謝しかない。舞台もとても素晴らしかった。

あやまん監督のロクスタ引退宣言

かといって相変わらずロクスタには中々馴染めない日々。
働き始めて3ヶ月ほど経ったとある出勤の日、男性スタッフから深刻なそうな顔で話があると個室に呼ばれる。

とうとうクビかな…と恐る恐る入室。

スタッフ「あやまん監督がお店を辞めることになった。」

!?!?
あやまん監督のお店なのに監督が辞めるだと!?

スタッフ「お店を移転し、マホを店長として存続するつもりなんだけどよしえはロクスタでのバイトを続ける?」

マホさんとは、当時のロクスタをあやまん監督と2トップで引っ張っていた女性である。
あやまんJAPANイズムを継承するお店としては存続していきたく、あやまん監督に不定期でお店に来てもらうようお願いしているとのことだった。
この頃あやまん監督は、あやまんJAPANとしての芸能の仕事と、ロクスタでは朝までシャンパンを文字通り浴びる様に飲み、カラオケで盛り上げ、あちこち気を遣って接客し続けた結果、相当な闇期に陥っていたようで、Coccoさんを歌っていたのもまさにあやまん監督が病んでいたからなのかなと。ちなみにわたしは病んでないですよ。

結果、ロクスタでのバイトは続けることにした。理由は他のバイトが決まっていなかったからである。
ロクスタの移転準備中は、同じく六本木で系列としている別のカラオケバーで働けるとのことだったけど、1日働いてもういいやってなった。

段々わたしのクズ感もわかってきただろう。

だが、こんなわたしがロクスタの移転を機に徐々に六本木に馴染んでいくことになる。

気付けばわたしも30代、あやまんJAPANと出会って丸8年。
あやまんJAPANとの付き合いがこんなに長くなるとは微塵も思ってなかった。

manmamでは六本木の座敷童子としてわたしなりに身に付けた夜の街の処世術や丑三つ時の徘徊記録を綴っていこうと思う。

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よしえ

丑三つ時に現れる六本木の座敷童子。 お酒、音楽、DJ、カラオケ、グルメ、岩下の新生姜、カップ麺、旅行、古着、レトロ、睡眠。

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