おもエロの泉〜日本最古のアダルトグッズはディルド!大奥で大人気?大人のおもちゃの歴史と進化〜
みなさんこんにちは!性に興味津々なあまり、10代の頃から調べに調べて眠れぬ夜を過ごしてきたアラサー女momoです。
ここ数年、女性向けアダルトグッズの進化が凄まじいですよね。
今でこそ当たり前のように存在するアダルトグッズですが、いつどこで誕生したものなのか気になったことはありませんか?
教科書で語られることはありませんが、ほかのジャンルと同じように文明の進化を遂げたからこそ、現代のアダルトグッズ文化に繋がっているのです。
今回は、そんな”アダルトグッズの歴史”を深掘りしていきます!
バイブの生みの親は世界三大美女のあの人!
アダルトグッズの歴史を遡ると、もっとも古い記録として残っているのは、紀元前2800年の新石器時代。男性器の形をした石器が、ドイツの洞窟で発掘されたのが始まりです。
現代でいうディルドのようなものですが、元々はアダルトグッズとしての目的ではなく、子孫繁栄の象徴として、儀式で使用するために作られたという説が有力なのだとか。
明らかにアダルト目的で作られた道具としては、古代エジプトで、世界三大美女の1人であるクレオパトラが、バイブの原点となる道具を開発したという記述があります。
電気がない時代にバイブだなんて、どうやって振動させていたのかというと…
なんと、ひょうたんの中に数十匹のハチを閉じ込めて、暴れるハチの振動を利用。
そのまま膣に突っ込んで、気持ちよくなっちゃうというスタイルです!
「それってほんとに気持ちいいの?」
「ハチがひょうたんの中で死んじゃったりしないの?」
「ハチがひょうたんから飛び出して膣に入ったらどうすんの?!」
と、まぁ疑問やツッコミどころが満載ですが、電気もない時代に振動で快感を得るということ自体、当時としては非常に画期的な発想だったのでしょうね。
日本最古のアダルトグッズ「張形(はりかた)」
では日本のアダルトグッズの歴史はというと、飛鳥時代に遣唐使が、青銅で作られたディルドを中国から持ち帰ったのが始まりだという記録が残っています。
「張形(はりかた)」という名称で、儀式の装飾品として使用されたという説や、処女の女性が挿入に慣れるため練習として使用していた…という説も。
いずれにせよ当初はアダルト目的ではなかったようですが、徐々に現代のディルドと同じように、膣に挿入して快感を得る道具として広まるようになりました。
初めて「挿入してみよう!」と思い立った女性とは、なんだか気が合いそうですね。
次第に木や陶器などのさまざまな材質のディルドが作られるようになり、江戸時代になると、現代のアダルトグッズ文化の原点として民衆に根付いていきます。
そして、この元祖ディルドがとくに人気を博していた場所が、「大奥」だったのです。
ドラマなどで知っている人も多いと思いますが、大奥とは、将軍の妻や側室、身辺を世話する女中たちが生活する場所。
将軍に気に入られれば夜の相手となる機会もありますが、1000人以上いる女性の中で、将軍の相手となれるのはほんの一握りの女性だけ。
さらに将軍以外の異性との交際も認められていなかったため、機会がない女性たちは、そりゃもう性欲が溜まりまくってしまうというわけですね。
若くして大奥に入った女性の中には、一度も男性経験がないまま大奥に入り、そのまま何年間も将軍とセックスする機会さえない、という女性もいます。
…つらい、つらすぎる。
ドラマでは「女の世界」というドロドロした一面が描かれることが多いですが、実際は欲求不満のほうが深刻な問題だったのかもしれません。
もちろん大奥だけでなく、町の女性たちもディルドを愛用していました。
現在の東京日本橋付近には、「四目屋(よつめや)」という名前の、日本最古のアダルトグッズ店まで存在したそうです。
ディルドだけでなく、媚薬や動物の皮で作られた避妊具、さらには現代のオナホールの元祖といわれる女性器を模した道具など、幅広いラインナップがそろっていたのだとか。
この四目屋が始まりとなり、次第に同じようなアダルトグッズ店が増えていきます。
ちなみに四目屋では、商品名と住所を書いた紙を店に渡すと、後日こっそり自宅に届けてくれる、現代でいう宅配サービスも行われていたというので驚きです。
プライバシー面にまで配慮してくれるなんて、素晴らしいお店ですね。
その後も、一時は警察による取り締まりの対象となってしまう時代もありましたが、日本のアダルトグッズはひっそりと進化を続け、現代の文化へと繋がっています。
先人たちの知恵と努力の結果、今の私たちの快適なオナニーライフがある。
そう思うと、今夜は感謝の気持ちを込めながら突っ込んでみようかな!という感慨深い気持ちになりますね。
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