ようこそ、茶会へお運びくださいました。
今宵も、星の宿を眺めながら、一緒に古に思いを馳せましょう。

季節のお菓子

今日の茶菓はビタミン汁をたっぷり含んだ『ゆずゼリー』
果肉をクリっと抜いて、皮を器にしていますのよ。瑞々しい柚子を絞ってつくった、プルンプルンのゼリー。ジュルッと口に含むと、甘酸っぱくて、ツルンとした舌触りがたまらないでしょ。爽やかで清らかな香りも、お口いっぱいに広がります。
そして、一緒にお出しするのは紅茶です。ジュルジュルを堪能した後のお口直しに、どうぞお飲みくださいませ。

さて、なぜ今宵、香しい柚子をご用意したのかと申しますと。師走も過ぎ、益々寒くなってきた折、みなさまのお体を気にかけてのことです。柚子は昔から風邪予防や美肌に良いっていわれておりますでしょ。それに、冬至の日に柚子湯に入る習わしをご存じかしら?江戸時代からある風習といわれておりますの。

冬至と柚子湯

わたくし、幼少のみぎりに近所のお婆様から、庭になっている柚子をいただいたことがありました。そして束の間、冬至の日の習わしについて、優しく語ってくださったことを思い出しましたわ。

柚子湯は、江戸時代の銭湯で催し湯として行ったのが始まりといわれております。「お金の融通が利くように」と融通と柚子をかけたもの。冬至は湯治。
駄洒落を好んだ江戸っ子らしいお話でしょ。言葉遊びが上手だわ。

銭湯の歴史

そして、銭湯。何だかノスタルジーを感じて、じっとりしてきました。
1960年代の絶頂期には、日本中に18,000件以上の銭湯がありましたの。どこでもイキ放題の数ね。でも、近年では絶頂期の10分の1程の数に減っているの。
盛り人の中には、銭湯をご存知ない方もいらっしゃるのでしょうね。うら淋しいことです。

江戸に銭湯ができたのは、1591年東京駅近くの常盤橋付近だといわれております。しかも、当時の銭湯は男女混浴で『入り込み湯』と呼ばれていたの。雑多で、淫蕩な感じが、たまらないでしょ。
そこで、いったい何が行われていたのかしら?男と女が裸体を晒すのよ。しかも、浴室内は板で囲ってあるのですから、薄暗い。そうなれば、言わずもがな。
濡れた柔肌と雄々しい肌が密着する、あの感じ。ああ、いいっ。でもまだダメ。我慢して。もっと知って欲しいから。

秘密の湯女風呂

江戸の銭湯で活躍したのが湯女(ゆな)と呼ばれる女性たちなの。
湯女は、昼間は殿方の背中を流したり、髪を整えたりしていたわ。湯上がりの酒やお茶の相手もしていたの。そして、暮れ六つになると三味線で遊び客をもてなすのよ。おもてなしの最後は、もちろん情交。ズッコンバッコンいっちゃうよ〜♪

湯女風呂はあまりの人気で、吉原から遊女が派遣されたとか。
けれど、風紀の乱れを懸念した幕府が、性的満足を満たす湯女風呂を1657年に禁止したの。
禁止された銭湯は2階を模様替え。いなせな江戸庶民の社交場になったわ。でも、引きも切らず湯女が、こっそりサービスをしていたみたい。それに、2階の床には格子になっているはめ込み板があって、そこから、下の脱衣場を覗けるようになっていた銭湯もあったそうよ。
覗きなんて、あら淫猥。でも、覗かれる方も、心持ち分かっていたのかもしれないわね。

いつの世も人は肌の温もりを求めるのね。
ああっ、もう。我慢できない。わたくしの湯船はもう、満杯。
今宵は、お開きにしましょう。    

茶会は股、開きます。次回も、ゆっくり入ってきてくださいね。
お口に淹れる、おいしいモノを準備してお待ち申し上げております。

では股。ナニとぞよしナニ。

記事一覧

フェラメール玉響

色欲たっぷりのM淑女、フェラメール玉響(たまゆら)です。 官能的な言葉責めで、しっとり潤います。 日本の美を愛し、快楽の所作を探求する日々。 エロティックな歴史をたどりなが...

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。