エロ用語講座 立ちんぼの歴史とその語源は?何かと話題の歌舞伎町トー横界隈・大久保公園に触れてみます
こんにちは!パティ・チャンです。
現在、新宿・歌舞伎町や大阪・兎我野町で急増中の「立ちんぼ」。
今回は「立ちんぼ」の語源やその実態について触れようと思う。
立ちんぼの始まりと街娼の歴史
立ちんぼと言えば、街角に立ち客引きをする街娼というのが現在の一般的な認識と言えよう。いわゆる路上売春だ。元々は「立ちん坊(たちんぼう)」という日雇い労働者を指す言葉だったそうだ。明治や大正の時代に坂の下などで荷車が通りかかるのを立って待ち続け、上り坂にさしかかる荷車の後押しをして賃金をもらっていた人々を意味する。
さて今回解説する「立ちんぼ」。現在でいう風俗店や、かつての遊郭や売春宿などを介さない私娼は奈良時代から存在したと言われる。その頃は遊行女(うかれめ)と呼ばれていたが、鎌倉時代には娼婦をまとめて遊女と呼ぶようになり、その呼称は江戸時代まで続いた。江戸時代に入ると、幕府は「吉原」以外で売春することを規制したため、私娼は淫売・売女(ばいた)や夜鷹と呼ばれ、遊郭で働く遊女とはっきりと区別されるようになった。というか、最下級の仕事として差別される対象となってしまった。
明治維新の後、社会経済が大きく変わり、都市に住む下層民が増えたことで私娼が急増。この頃から大正時代は、外国人の多い横浜やお金持ち向けに銀座などの繫華街に出没するような高級娼婦なども現れるようになった。そして、この時代に街娼という言葉が定着した。
昭和・第二次世界大戦の敗戦後も、日本が経済的困窮に陥ったことで街娼がまたも急増。さらにもう一つの要因として、明治以降続いていた数々の戦争の間に抑圧されていた性意識の変革などもあったとされる。この頃、外国人向けの立ちんぼはパンパンガールと呼ばれていた。
私娼は、1956年ごろから街娼の取り締まりが厳しくなったこと、その他の性産業の発展により減少していった。昭和後期にもなると、現在一般認識されている立ちんぼと同じ意味で使用されていたとされているが、詳しい情報は出ていない。買うのも売るのも犯罪行為であるから、隠語として街娼と伝えるのにちょうど良かった言葉なのだろう。国語辞典が立ちんぼを街娼という意味で初めて掲載したのは2014年。このことから、立ちん坊(たちんぼう)を指す言葉としての「立ちんぼ」自体は古くからある言葉だが、現在に伝わる立ちんぼの意味合いは比較的新しいと言えるだろう。
新宿・大久保公園周辺に急増している立ちんぼ
さて、ここ1,2年で何かと話題の歌舞伎町。今年開業した東急歌舞伎町タワーはジェンダーレストイレで物議を醸し、「トー横界隈」「大久保公園」などといったキーワードからは良くないニュースが毎日のように流れてくるようになった。居場所のない未成年者たちのたまり場には、その未成年たちに良からぬ思いを抱く大人たちが寄ってくる。そんな構図が形成されてしまっているのだ。
大久保公園周辺は元々立ちんぼエリアとして知られている。昔から風俗店などでは雇ってもらえないような年配の女性や容姿の悪い女性、外国人などがちらほらと立っていた。なぜ今になって立ちんぼが急増しているのか。歴史的観点から見ると新型コロナウイルスによる不況が原因かと思われる。セックスワーカーの問題として第一に挙げられてきた経済的困窮が今回も当てはまるのだ。
とは言え、食べられないほど困っているという立ちんぼはかなり少ない。大体は昼間別の仕事をしているが、ホストに通うお金や推し活に使うお金が欲しいがために売春をして補填しているのだ。ここで立ちんぼが得られるのは大体一日3~7万円程度。一人あたり1~2万円で相手をするという。ここで得た現金を握りしめ、そのままホストに貢ぎに行くのだろうか。
なぜ今立ちんぼなのか?
平成に入って、売春のプラットフォームとなったのは出会い系サイトやSNS。売春でなくともワンナイトの相手をネット上で募るというのはもはや当たり前である。ところが、彼女たちは立ちんぼを選んだ。立っていれば必ず誰かがやってくるこの場所は、ネットで場所や時間を数日前から約束を取り付けるよりも、その場でサクッと条件を決められるからずっと効率的なのだ。また、そもそも約束を守れない女性も多いため、気が向いた時にだけ立てるのもありがたいのだろう。
メディアに取り上げられることで話題となり、興味本位で立ちんぼをする女性や、観光気分で立ちんぼスポットに出かける男性が増えた。しかしこの不景気でお金を出せる男性は減ったのにお金が欲しい女性は増加し、需要と供給が成り立っていない。中には値下げ交渉をして何とか安く若い子と遊ぼうとする男性もいるようだが、金額に少々不満でも受け入れる立ちんぼが多いのだという。結局のところ、彼女たちのほとんどは今すぐ使えるお金が欲しいのだ。同じ女性としては、値を下げて男性の相手をしたとしても、自己価値感だけは下げないで欲しいと願うばかりである。
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