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ある日、新宿二丁目の夜の街をブラブラしていると、向こうから頭にケーキを乗せたドラァグクイーンらしき人がやってきた。私はちょっと酔ってたこともあり、思わず「素敵ですね!」と声をかけた。少し話して連絡先も交換しないまま別れたが、後日、SNS上であのケーキ頭の同じ人のアイコンを偶然見つけた。

名前は「モチェ」。東京のドラァグハウス「Haus Von Schwarz」に所属し、Aro/Aceを公表するドラァグ・パフォーマーだ。Aro/Aceとは、「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム」を指し、他人に対して性的あるいは(かつ)恋愛的に惹かれない性のあり方をいう。

私たちは日常で「最近誰か良い人いた?」「セックスどうだった?」みたいな話をすることがある。しかし、このような会話に共感しない人もいるのだ。

話を戻すと、当たり前に恋をしてセックスすることが前提とされる社会で、“少数派”とされるAro/Aceを公表するモチェは、Aro/Ace視点からクィア(LGBTQ+)やフェミニズム、インターセクショナリティ※の問題を考え、作品化している。そして、自身の頭の上に乗った「ケーキ」は、実はただの飾りものではなく、Aceコミュニティのシンボルであることを知った。

「セックス?それよりケーキが好き」
「貴方(大切な人)とケーキをシェアする関係でありたい」

そんな言葉を冗談混じりに、かつ皮肉的に社会に投げかけている。今回は、セクシュアルマイノリティの中でもマイノリティとされるAro/Aceについて、ドラァグ・パフォーマーのモチェに話を聞いた。

※インターセクショナリティ(交差性)とは、ジェンダー、セクシュアリティ、人種、階級、国籍、アビリティなど、いくつもの要素が交差することによって人々の関係や経験を形成していることを示す概念のこと。

ドラァグ・パフォーマーのモチェにインタビュー

ーモチェさんは、さまざまな活動をされていますよね。

ドラァグ・ハウス「Haus Von Schwarz」に所属し、ドラァグ・パフォーマーとして東京を中心にショーをしたり、現代美術の作品制作をしたりしています。

他には、Aro/Aceとドラァグの表現について研究し、クィア・フェミニズムの視点から展覧会を”セーファー・スペース”として作る試みを行うアーティスト・コレクティブ「ケルベロス・セオリー」のメンバーとして活動。展覧会・イベント企画なども行っています。

ー自身のセクシュアリティに関して、どのように捉えていますか?

ジェンダーアイデンティティは強いていうならノンバイナリー(性のあり方を男女の枠に当てはめないセクシュアリティ)といえると思いますが、今は特に言葉で表したいと思う段階にはないという状態です。

セクシュアリティを正確にいうと、Aセクシュアル※[1]のグレーロマンティック※[2]です。その中でも恋愛指向は女性寄りのパンロマンティック※[3]だといえると思います。ですが、日常でほとんどロマンティックな気持ちを感じたり、関係性を築きたいと思ったりすることがありません。なので簡単にアロマンティック・アセクシャルや、Aro/Aceと表すことが多いです。

1.性的な感情をほとんどもしくは全く抱かないセクシュアリティ
2.ごく稀にしか恋愛感情を抱かないセクシュアリティ
3.性別問わず恋愛感情を抱くセクシュアリティ

ーAro/Aceであると明確に自認したのはいつ頃ですか?

Aro/Aceの概念に出会ったのが遅かったので、最初は自分がパンセクシュアルやパンロマンティックかと思っていました。でも、セックスというものが自分にとって耐え難いほどつまらなく、時間の無駄だと感じることだけははっきりとわかっていました。

ドラァグ・クイーンとして働き始めて、お客さんから「(性的に)どっちが好きなの?」と聞かれることが増えてから、「どっちも(性的に)好きではない」状態を言葉にする必要を感じて、それから勉強しました。Aro/Aceのことを知ると、何もかもが「自分のことやん……」という感じでした。

ですが、今でも迷うこともあります。どんな情報を見ても「こうだからあなたは絶対にAro/Aceだ」とかがわかるわけではないので。

ーAro/Ace当事者同士の交流や出会いはありますか?

私はAro/Aceを公言しながら活動しているので、「自分もです」と言ってくれる方と偶然出会うことがありますが、それは特殊な例だと思います。

他には、Aro/Aceの当事者のオフ会を定期的に開催する方がいて、それに参加して繋がりができたこともあります。インターネット上では比較的大きめのコミュニティがあり、zineやYouTubeを通して発信されている方もいます。あとは、私が運営に関わっている「陰気なクィアパーティ」などには、Aro/Aceの方も比較的多く来てくださるように思います。

ーLGBTQタウンと言われる新宿二丁目には、モチェさんのようなAro/Aceの方と出会うことも?

私は二丁目のことを深く知っているわけではないので、私の知らないコミュニティがあるかもしれませんが、目にみえてAro/Aceコミュニティといえるものはないのではないでしょうか。二丁目はほとんどがゲイ、続いてレズビアンのコミュニティや文化が中心で、Aro/Aceのように、より少数のセクシュアリティのコミュニティは今のところあまり顕在化していないと思います(二丁目だけではなく世界中全てに言えることです)。

私は二丁目で遊ぶのが好きですが、ドラァグ関係のイベント以外では、大体、ご飯が食べられるお店か、独立書店やコミュニティセンターに行きます。Aro/Aceの中には「出会いの場」や、それに伴うフックアップ・カルチャー(一夜限りの肉体的な付き合い)が苦手だったり、性的な格好やパフォーマンス、照明などの雰囲気が苦手な方もいるので、二丁目に行けない、遊ばないという方も多いように感じます。

Aro/Aceのためのバーやスペースなども現在はないようです。それでも二丁目は、他の場所よりもクィア(LGBTQ+の総称)という存在が当たり前にいられる場所であることは確かです。オフ会の会場が二丁目のお店になっていたり、最近では、よりインクルーシブなクィアイベントやスペースも生まれつつあるので、そういったところで少しずつ交わりが生まれているのを目にすることがあります。

ーLGBTQ+の中でもそれぞれにグラデーションがあるといいますが、Aro/Aceにもいえることでしょうか?

まさにAro/Aceの特徴の一つは、その言葉が表しているものがとても広いスペクトラムで、当事者がとても多様な存在であるということだといえます。よく言われるのは、Aro/Aceのスペクトラムの中でも”惹かれなさ”の程度や、性嫌悪の有無、惹かれる対象の違いなどによってパートナーシップや人生における経験、抱える問題が全く異なることです。

また、それに伴って、定義や共感の難しさがあるともいわれています。例えば、私のようにクィアとしてのアイデンティティを強く持っていて、既存のクィアカルチャーにシンパシーを感じられる当事者もいれば、全くそうでない方もいます。同性のパートナーがいる方もいれば、異性のパートナーがいて、側から見ると「普通の恋愛」をしていても、見えない生きづらさを抱える方もいます。

私は性的な感情を自分に向けられない限りは性嫌悪があまりないので、性的とされる文化の一部も楽しめますが、それを「性的だ」と感じているわけではありません。反対に、性的なものに嫌悪感がある方は日常に溢れる性的なコンテンツの存在に苦しんでいることもあります。

ーAro/Aceだからセックスをしない、パートナーがいないと思われがちですよね。

よくある誤解として、Aro/Aceは全員セックスをしないと思われたり、禁欲主義と混同されたりします。ですが、実際には違い、パートナーとの関係性構築のためなど、さまざまな理由でセックスをする当事者もいます。

まだまだAro/Aceの当事者の多様な経験についての集積や研究は進んでいないので、色んな誤解をされがちですし、私も知らないことがたくさんあります。これからより多くのAro/Aceの声が聞かれ、当事者が情報を知れるようになってほしいなと思っています。

ー恋愛や性愛というものについて、どのように捉えていますか?

Aro/Aceの私からしてみても、恋愛や性愛について考えることはとても大切だと思います。でもそれは、恋愛や性愛というものが一体どういうもので、私たちに何をもたらして、何を抑圧してきたのかを見直して考えることが大切だという意味です。恋愛や性愛を「当たり前にこういうもの」だと多くの人が思い込んでいるからこそ、それについて深く考えたり、話したりすることが難しくなっているのではないでしょうか。

これは私が読んだ本などの受け売りですが、Aro/Aceという言葉や括りが必要とされる理由は、歴史的にみて長い間「誰もが性的・恋愛的に異性に惹かれるのが当たり前」という世の中の思い込みや、それに則って作られている社会システムや文化があり、それが今なお、あまりにも大きい影響力を持っているからです。そういう社会では、Aro/Aceのように性愛や恋愛的に誰にも惹かれない人や、パートナーがいない人、結婚や出産を選択しない人は、”非モテ”、”処女/童貞”、”私生活に問題がある”、”愛情がない”、などという間違った偏見を持たれたり、精神の病気と簡単に結びつけられたりしてしまいます。

さらに、マイノリティの性の解放を求める運動の中でも「古い慣習に囚われて性的に抑圧されている人」と見られたり、運動に関係ない人だと思われることがあります。でも、そのどれもが私達の現実の姿ではありません。Aro/Aceは、そういった今ある社会のシステムに対抗したり、そこに当てはまらない人々の存在が差別されず、尊重されるために必要なカテゴリーです。

ーモチェさんは「愛」というものと密接に関わることはありますか?

私は恋愛や性愛の結びつきのあるパートナーはいませんが、自分のドラァグのファミリーや、一緒に活動してくれる仲間や友人のことを愛しています。芸術や、それに熱中する時間のことも愛しています。クィアやフェミニズムの運動の歴史やコミュニティーのことや、それを作ってきた先達の人々の営みのことも尊敬していますし、そこに参加したり学んだりすることに愛や連帯を感じます。

これらの関係性が恋愛や性愛ではないからと言って、それらよりも気持ちが劣るとか、大切じゃないとか、愛ではないとは全く思いません。愛や関係性は本来もっと複雑で多様で、もっと創造の余地があるものだと思います。そういった意味では、恋愛や性愛のこれまでのあり方だけにとらわれず、それ以外の多様な関係性の形について想像していくことこそ重要で、より良い社会を作ることなんじゃないかな、と思います。

ーAro/Aceについて描いたおすすめのコンテンツ(映画、音楽、本など)があれば教えてください。

本は、最近出版されたアンジェラ・チェンの『ACE〜アセクシュアルから見たセックスと社会のこと〜』が面白かったです。色々なAro/Ace当事者の経験談が描かれていて、読みやすく、またAro/Aceの多様さがわかる本です。

左右社
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『現代思想2021年9月号「<恋愛>の現在」』もAro/Aceについてだけでなく、恋愛や性愛の形の多様さについての話が色々な視点で書かれています。

最近のドラマだと、Netflixの「ハートストッパー」のシーズン2でAro/Aceのキャラクターの存在が丁寧に描かれていました。その他にも「セックス・エデュケーション」や「ハートブレイク・ハイ」にもAro/Aceのキャラクターが出てきていて、それぞれ多様で面白いです。日本のドラマでは「今夜すきやきだよ」が好きでした。主人公のうちの一人がアロマンティックであると明示されていて、個人的には女性二人の話というのも含めてアゲな感じでした。

音楽は、今のところAro/Aceがテーマだと明言して曲を書いているアーティストはほとんどいませんが、コナン・グレイの「Crush Culture」がAro/Aceのコミュニティでアンセムとして受け入れられているようです。ポッドキャストの「半ギレラジオ」も大好き。

Aro/Aceを描いているコンテンツはとても少ないのが現状です。私は英語で「AroAce Anthem」や「Asexual Anthem」と検索して、ローカルなアーティストが投稿している歌を聴いたり、「Ace読み」できる曲やコンテンツを探したり、ZINE(個人制作の出版物)で当事者の人が書いたものを読んだりするのが好きです。

ーmanmamを読む読者に一言お願いします。

manmamは性に関する話題が中心のメディアだと思いますが、みなさんの中にAro/Aceの方はいるでしょうか?必ずいると思います。私が伝えたいのは、性に開放的である女性や、性に開放的であるクィアが当たり前に素晴らしい存在であるように、性的に誰にも惹かれない人も、全く同じように当たり前に素晴らしい存在であるということです。今まで、恋愛や性愛の繋がりを誰とも持っていないのは”異常”で、”未熟”で、”病気”で、”魅力がない”と、たくさんの人から言われてきました。決してそんなことはないと断言させてください。

私たちはどんな性的な指向を持っていても、持っていなくても、十分に豊かで、それぞれに魅力があり、創造的で、当たり前に尊重されるべき存在です。(注:当然、魅力がなく、創造的でもなく、豊かでないとしても、”異常”で”未熟”で”病気”だとしても、全ての存在は尊重され、人権が保障されるべきです。誰かに何かしら理由をつけて差別する社会がおかしいのです。でも力を取り戻すためにはこうやって言うべき時もありますよね。)

この記事でAro/Aceのことを知って、恋愛や性愛の多様なあり方についてより深く考えるきっかけにしていただけたら嬉しいです。それはきっと、より豊かで、可能性に溢れた世界を作ることになると思います。あと、この記事が気に入ったらモチェのショーも見にきてくださいね!(インスタもフォローしてね💜🤍🖤)

インタビューを終えて

冒頭でAro/Aceについて「性的・恋愛的な感情を持たない」という表現を使って説明を入れたのですが、モチェさんから「感情を持たない」ではなく「惹かれない」の方が好ましいとご指摘をいただきました。性的・恋愛的に惹かれることは、性的欲望の障害など、性機能不全と区別された概念であるとのこと。クィアとひとまとめにしても、まだまだ知らないセクシュアリティがあり、日々学ぶ姿勢を持ち続けることが大切だと感じました。

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Honoka Yamasaki

昼間はライター・編集者として性について発信、夜は新宿二丁目で踊るダンサーとして活動。 あらゆる性や嗜好について取材している。 TimeOut連載「SEX: 私の場合」

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