ごきげんよう。青子(あお子)です!

今回は個人的にはあまり調べたくなかった「スカトロ」という言葉について考えてみる。
世の中には様々な趣味嗜好を保つ人間が星の数存在するが、こと糞尿に関しては特に理解の及ばない世界であることを先に言っておきたい。(つまりスカトロ苦手なのでマジ辛い今回)

「スカトロ」の語源

スカトロの語源はズバリ、「スカトロジー」である。
”Scatology”ーーー糞・尿に対する研究・考察の意味の英語だ。
糞・尿に対する研究・考察のことを日本語では糞便学(ふんべんがく)とも言う。

特定の動物を研究する上で糞便や尿はその生物を知るために欠くことの出来ない情報を含んでいる。古代生物学においては、既に死滅した生物の残した糞便の化石から、食性や習性などが判明する。人類において欠くことのできない学問だと言えよう。

また、そのような糞便学の意味もあれば、糞尿への興味やそれを愛玩する性的興奮・性癖・性的嗜好・糞尿に関するユーモア・糞尿や糞尿愛好等を主題とした文芸作品等のことも指すのがこの「スカトロジー」だ。
こちらはおそらく多くの人が知っているであろう糞尿愛好家のイメージそのものであろう。

しかしこれもまた怪訝に顔を歪めるものだけではない。
世界的な文学や美術でも「スカトロジー的表現」はしばしば見られるのだ。
かのフランソワ・ラブレーやマルキ・ド・サドなどの作品には糞や尿がきわめてよく現れ、それらが重要なモチーフになっている。
日本でも爆発的人気を博した「うんこドリル」もスカトロジー的表現を用いた学習本と言えよう。その他こども向け作品においても『うんち、おしっこ』を利用した手法は多く見られ、故に人気を獲得しているものも多い。

世界的「スカトロジスト」

スカトロ=スカトロジー=糞尿愛好家または排泄物嗜好の意味だということはわかったが、特にその愛好家の部分が強い人間のことを「スカトロジスト」と呼ぶ。

かのクラシックの作曲家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。彼はクラシック音楽界きっての「スカトロジスト」である。

母親が下ネタ大好き系ママだったことが大きく影響したと言われているが、モーツァルトは好きな女性へのラブレターに対しても、下記のような怪文を奮っている。

『ごきげんいかが? どんな服を着ているの? お通じはまだいいかい?
(略)快く仲直りをしてくれない?さもないと、ぼくの名誉にかけて、バーンと一発やらかすぞ!どうせきみは笑っているな……万歳!僕らのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!』

『二週間後にはパリへ立つけど、きょうもひとクソたれておこう。
もし、そちらのアウクスブルクの町から手紙をくれるつもりなら、ぼくが受け取れるように、早く書いてね。
でないと、ひょっとしてぼくがもう立ったあとだと、受け取るのは手紙のかわりに一通のウンコ。ウンコだ!ウンコだ!おお、ウンコ!ああ、なんて苛い言葉だ!ウンコ!ウンコ!こりゃうまい!クソミソ、くらえ!クソ!なめるな!ああ、おいちい!クソ、なめる!こりゃ快感だ!クソッタレ、食らってなめろ!ウンコ!ウンコ!クソ、なめる!!!

小学生男子も顔負けの超絶ウンコレターである。
これを書いている私も頭がおかしくなりそうな内容であるが、ほんまなんか薬でもやってたん?な謎の勢いを感じる。しかしこれが彼の通常営業だったというのだから驚きだ。
このようなモーツァルトの超絶ウンコレターは現在でも大量に保管されているが、彼が亡くなってから子供たちが『父の恥』として処分したものも多くあるという。いやもう全部捨てて良いよ。

また、モーツァルトはもちろん自身の作曲したタイトルにもウンコマンとしての愛好家っぷりを残している。

『「Leck mich im Arsch」K.231』
……翻訳すると「僕のお尻を舐めてよ」。
『「Leck mich den Arsch recht schoen, fein sauber」K.233』
……翻訳すると「僕のお尻を舐めてしっかりきれいに、このうえなく清潔にしてね」。

いやどんだけ尻舐められたいん?
おそらくこの先もコンサートで演奏される事はないこれらの作品は多くあり、美しい作品で売れてる世界的人気画家が趣味でクソロリコン同人誌を描いているような人間らしさを感じる。仲間内で大爆笑しながら作った感がすごい。

「スカトロジスト」、2つの関心

モーツァルトのスカトロレベルは実際どんなものか、糞を扱ったプレイとしては手紙と作曲のみの資料しかないため計り知れないが、おそらく現代に彼が生まれていたら糞尿プレイ可能な風俗の年間パスポートは取得していたであろう。

地獄の手紙と曲だけというだけでリアルにきついスカトロプレイには到底及ばないが(それでも相当キツイが)、糞尿は多くの社会においてタブー視される存在であり、それについて語ることもいわゆる「下ネタ」として忌避される傾向にある。
そんな”禁忌”とされるのものが性衝動の一環として、糞尿及び排泄行為に強く魅了される人も少なくない。

スカトロはその関心の焦点によって次の二つに大別できる。

①媒介物としてのスカトロ

対象人物に排泄のタブーを犯させること、あるいは生理現象としての対象の排泄行為を我慢させる(管理する)というロールプレイングにおける、媒介物としての糞尿・及びその排泄行為。
うんちそのものではなく、うんちをさせること、うんちがついた下着、うんちが出たあとの肛門等に興奮する。

②排泄物そのものへの関心

排泄された糞尿、あるいは糞尿による汚れ”そのもの”への関心。
ここでは「排泄させる”行為”への関心」ではなく「排泄された”モノ”への関心」となる。
JKなどからおしっこを買う人はこちらの傾向だ。
(おそらくモーツァルトもこちらの関心が強かったと思われる。)

この分類はごく大まかなものであるが、スカトロプレイ自体の分別はこれに該当することが多いであろう。

スカトロは簡単には語れないが

糞尿を愛する、までもいかないが「別にいけますよ自分」という人は意外と少なくない。
普段ベラベラと自身の性癖としてカミングアウトしにくい性癖であるため圧倒的マイノリティーとして認識されているが、『性器と直結している』『人間が大好きな”禁忌”のもの』であるという2ドラ乗った項目だ。

私も汚物に対して神経質な人間ではあるが、こと”おしっこ”に関しては別にAVなどで急に出てきたとしてもそこまでの嫌悪感はない。むしろ女性が快楽にまかせ尿を放出する様はエロティックだと認識する。
それがスカトロであるか?は定義が難しいが、うんちを急に出されるものとは話が違う。おしっこを気持ちよく出している女性は別段悪くない。スッキリしそうだし。

ここからはかなり余談だが、「排泄物」というものの定義は意外と多くあり、糞尿はもちろんのこと口から嘔吐する吐瀉物もそれに該当するのだ。
口に指突っ込まれてあえぐ女優さんエッチだな〜と思っていたらそのまま急にゲロを吐いて男優が喜んでいるのを見たときの「いやそっち系かい」的な裏切りは辛い。
だったらまだシッコやうんちしてる「排泄物」系スカトロのが全然マシなのだ。この気持ち、誰かわかるだろうか……。

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西青子(すーぱーあお子)

MC・ナレーター。 あやまんJAPANユースメンバー。 Podcastラジオ『変態淑女のお茶会』パーソナリティ。 本業はグラフィックデザイナー。 キラキラ女子のふりをしたオタク。 深夜...

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