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コラム

エロは地球を救う!壮絶人生超ハッピー女 vol.6

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みなさん、おはこんばんちーん!
あやまんJAPANユースメンバーのシャナニストいずみ兼プロ雀士北原いずみです。

今回は63歳で首を吊って死んでしまったわたしの愛するお父さんについて少し詳しくお話しさせてください。
わたしの父は一冊の本になるんじゃないかなと思う程すごい人でした。
父はとにかく自分にも人にも厳しい人で、でも……じゃないかな、だからこそ、とてもとても誰にでも愛情深い人でした。その中でもわたしへの愛情は一際でした。

わたしの知っている父はとても頭が良くて質問すると何でも答えてくれるし、本当に博学な人でした。
子供の頃は神童と呼ばれていたと言っていました。

まずは思いつくエピソードを少しだけ。
会社でイベントがあって、余ったお弁当を近くの公園のホームレスの方達に配ってあげたそうです。
暴力、暴言、セクハラ、分裂病、ありとあらゆるマイナスの面も持っていたけれど、本当に優しくて愛情深い人でした。

同じ敷地内に住んでいたわたしの母の弟には、お給料が少ないからとしばしばお小遣いを渡してあげていたようです。

動物もとても好きでそれはそれは愛情深く接していて、飼っていた犬や猫を虐待するという事は一度もありませんでした。

誰だって、心穏やかに過ごしたいはずです。
わたしの父もきっとそうであったに違いありません。でも長く患っていた精神病が良くなる事は一度も無く、不穏な状態から抜け出せずにいる父を見ているのはとても辛かったです。
私自身も父からの暴力暴言束縛がとても辛くて早く大人になって父の元から去りたいと考えてもしまっていました。何度傷つけられたら終わりが来るのかと本当に真っ暗闇の日々を過ごしていました。

父は本当に人付き合いが苦手で誰かと会う事がすごく嫌いな人でした。
そんな父でも仕事になると抜群の成績を納めていました。
父はパイロットになりたかったみたいだけど、色弱のためになれなかったようです。

父は車がとても好きだから、就職活動の時に10万円あげるからと言われて大手の車屋さんに就職したそうです。その10万円はスナックやキャバレーへ行き一晩で使い切ったそうです。酒代なんてその時金持ってる奴が払えばいいとよく言っていました。
50年くらい前の当時の10万円って凄い額だと思うんだけど……笑。
その初めての就職先で、車の修理に訪れた母と出会ったそうです。
母はとても綺麗で、まるでお姫様に出会った気持ちだったと言っていました。若い頃の母は本当に美しい顔立ちをしていました。顔だけは。性格は鬼ですが笑。詳しくはぜひ過去のコラムを読んでいただけたらと思います笑。
父は結婚する前は優しかったけれど結婚したとたんに暴力的になったと母が言っていました。

わたしの覚えている父はいつも家で寝ていました。
わたしが小学校低学年の頃にはもう既に精神を病み仕事が出来ずわたしたち家族は生活保護で暮らしていました。当時は不慮の事故や病気に備えて修学旅行に保険証を持参しなければならなかったんだけど、わたしの保険証だけ色が違うからとても恥ずかしかったです。
その当時の生活保護家族の保険証はオレンジ色でした。
当時の住まいは六畳と四畳半の二間に小さな台所とトイレとお風呂。
そこに家族四人と犬一匹猫四匹と暮らしていました。
生活はとても貧しかったけれど集合団地だったら同級生ももちろんみんな団地住まいで、貧富の差はそれほど感じずに過ごせた事はとてもありがたかったです。

父は仕事をしていない事がとても恥ずかしかったみたいで、わたしのお友達には大手の車屋さんで働いていると言えと命じられていました。

暴力暴言の絶えない日常、お風呂もたまにしか入らず頭はフケだらけ、無精髭の父が毎日狭い家で布団を敷いて寝ている、そんな暮らしが何年も何年も続きました。

ところが父はある日突然、車を買うと言いました。
母はどうやって貯めたのかわからないけれど、今思えばほとんど全財産と言えるくらいの札束を父の胸ポケットへ入れて車を買ってらっしゃいと見送りました。
やっと起き上がり、何でもいいからやっと何かをしようとする父を見て、母はとても嬉しかったんじゃないかな。

それからの父は日に日に元気になり遂に大手の車屋さんに再就職する事ができました。
父が綺麗な字で履歴書を一生懸命に書いている姿を私はずっと眺めていました。父は字がとても綺麗です。
わたしは父の字が大好きです。
就職面接では、家族を養わなければならないんです。お願いしますと面接官に何度も頭を下げたと言っていました。
あの父が誰かに頭を下げるなんて信じられないけれど、そうやって私たち家族を一家の大黒柱として守って行きたいと強く思い実行してくれたと思うと今でも胸が熱くなります。

精神病が治る事は遂になかったけれど、そこからの父は飛ぶ鳥も落とす勢いでどんどん出世してゆきました。

何年も生活保護で暮らして急に大手の車屋さんに就職して、もちろん最初は試用期間付きの雇用でした。
そうして正社員になり、センター長になり、エリアマネージャーとなり、本社勤務となり、部長になり、新しく立ち上げるグループ会社の取締役にまで父はなりました。

生活保護の精神病者が、大手企業の取締役、年収数千万の男になったのです。

もう、本当に凄い!!
お父さん格好いい!!

でもそれも長くは続きませんでした。
「社長が気に入らねえ」
と言ってすぐに辞めてしまいました笑笑。
とてもお父さんらしくて素敵です笑笑。
会社辞めたと言われて、どうして?と聞いたら
「社長の口が臭え」
と言われてわたしは爆笑した事を覚えています。
どうせ生活保護の貧乏暮らしをしていたんだから、お父さんが辞めたければ辞めればいいんです。
お父さんの人生なんだから。

それからは紹介してもらった車屋さんに勤めてすぐに辞めて、最終的には地方銀行の入り口で案内係をやっていました。
その頃にはお酒もギャンブルも辞めて犬の散歩と甘いものを食べるのが趣味という穏やかな生活をしているかに見えましたが、ある日突然首を吊って死んでしまったのです。
父の人生とは何だったのか。
常に精神病が父をいじめ続けていたように思います。
どうかお父さんが天国で心穏やかに過ごせていますように。お父さんはもう苦しまないでほしいな。
父は多くを語らない人だったけれど父の背中はとても大きく見えていました。
父とは一度も一緒にお酒が飲めなかったから、いつか天国で一緒にお酒が飲みたいな。
父はわたしの中で生き続けています。
父が居なかったら今のわたしはいません。
おもエロジョークが素晴らしかった父の想いを受け継ぎ、わたしもおもエロでみんなを笑顔にしたいです!

ラブリーバー

そんなわたしは今、赤坂の伝説のショーパブ「ラブリーバー」でお仕事させていただいています!
ラブリーバーの愛川祐丘ママはとびっきりの美人でスタイルも抜群、なのにもかかわらず下ネタでお客様を毎日爆笑の渦に巻き込んでいます。
祐丘ママは元ストリッパーでダンスも抜群だし、頭の回転が早くて全てを下ネタに転換する能力を持っています。
お客様は爆笑しながらも凄い!!!と拍手喝采する毎日が繰り広げられています。
そんな素晴らしい場所で僭越ながらわたしもショーのダンサーとしての階段を登り始めました。
どんな下ネタが繰り広げられているのか詳しくはとても書けませんが、えらいことになっています!!
皆さまぜひ一度でも二度でも三度でも赤坂ラブリーバーへお越しいただき、祐丘ママの素晴らしさ、わたしのまだまだへたっぴなダンスと下ネタを観てください(o^^o)
お父さんがわたしに植え付けてくれた下ネタがこんなところでとても役立っています。
お父さんありがとう!!笑笑
天国から見てくれているといいな(o^^o)
お父さん、わたし毎日頑張ってるよーーー\(^o^)/