みなさんこんにちは!
あやまんJAPAN ユースメンバーのシャナニストいずみ兼プロ雀士北原いずみです。

わたしはこのコラムで波瀾万丈な生い立ちについて赤裸々に語っていこうと思っています。
第二弾となる今回も皆様ぜひ笑ってご一読くださればと思います。

前回も紹介しましたが主な登場人物は
・父(アル中、酒乱、分裂病、暴力暴言、愛情深く頭が良い)
・母(性格も頭も悪くて幼い娘をいじめる鬼畜)
・兄(優しいけれど内気でおどおどするばかり)
の3人です。


前回は生まれてから覚えている一番古い記憶について書いたけど、今回は幼稚園頃のいずみの思い出深いエピソードについて語ってみるよ!!
幼稚園頃って想像だけど嫌なことってあんまりなくて両親祖父母に可愛がられ、遊ぶことがお仕事で悩みも特になく一番無邪気に過ごせる時期なんじゃないかなと思います。
でもわたしは全く違いました。

幼稚園てすごく早く終わっちゃって、お昼頃にはもう帰宅します。父はお仕事、兄は小学校へ行っているので必然的に家で鬼畜母とふたりきりになってしまいます。
その頃は本当に母から嫌がらせやいじめを受けていて、母とふたりきりになるのがすごく辛かったのです。

ある日いつも通り幼稚園から帰宅して母にいじめられないように息を潜めていると、隣の部屋から母のうめき声と、ドス、ドス、ドス、と鈍い音が聞こえてきました。それはもう恐ろしくて恐ろしくて、何が起きているのかと幼いわたしはパニックになりました。

この家にはいま、わたしと母しかいない。
母は一体何をしているの?!?!
怖い!!怖いけど見たい!!見たいけど怖い!!

これが怖いもの見たさというやつなんですね!!
もうこんなの何してるのか見たいに決まってるじゃないかわくわくわくーーー!!
わくわくが止まらなくなってしまったわたしは意を決して音を立てずにそーーーっと扉を少しだけ開けて隙間から覗いてみました。
するとどうでしょう!匠の技が見えました!
髪を振り乱して両手で包丁を握り地獄の底から聞こえてきそうなうめき声を上げ目一杯の力を込めて畳に何度も何度も包丁を突き刺す鬼の形相の母が見えました。
え?てゆうか、これってわたしのお母さんだっけ??
地獄から来た鬼婆なんじゃないかな??
もう怖くて怖くてそーーーっと扉を閉めて何も見なかった事にしました。怖くて口から心臓が飛び出るかと思った笑。おそらく母は、父からの暴力暴言のストレスを畳にぶつけていたんだと思います。この包丁事件は立派にわたしのトラウマとなり、この件について笑い話に昇華し人に喋れるようになったのは35歳を過ぎてからでした。怖すぎるよおっ母さん笑!!勘弁してよ笑!!
畳の包丁の傷跡は17歳で引っ越しをするまでずっと残っていて、畳の傷跡を見る度に世の中には怖い人っているもんだよなぁと思っていました。それがまさか自分の母親とはねと、本当にトホホな気分でした。父も兄も、畳の傷跡について何も言っていなかったけど不思議に思わなかったのかな。でも畳の傷跡を気にする暇なんてない位には家庭の中は崩壊状態だったかな笑。

とにかく汚い家でした。襖は父が暴れて破けているし木の箪笥は父が蹴りを入れて穴が空いているし、冷蔵庫はベコベコに凹んでた。母は家の中を綺麗にする心の余裕がなかったみたいでゴキブリがたくさんいました。食器棚の引き出しにはゴキブリの卵が入っていたし食器も全部薄汚れてた。本当に狭くて汚い家でした。

母は父や兄や近所の人の前ではにこやかで優しい人に様変わりするから、二面性が怖くて本当に母とふたりきりにはなりたくなかったなぁ。だからわたしは常に自分の母親くらいの年齢の人がすごく苦手でした。
そんな時でもやっぱりわたしには持って生まれた天性の明るさがあったのでくよくよする事はあまりなかったように思います。

この頃の楽しい思い出の一つに「パチンコ屋さん」というのがあって、父に目に入れても痛くない程に可愛がられていたわたしは家族の中でひとりだけ父親のパチンコに着いていく事が許されていました。恐ろしい母となんて一緒にいたいわけないから父に一緒に行きたいとせがんでいたような気もします。父は「いずみを連れて行くと出るんだよなぁ」と喜んでパチンコ屋さんに連れて行ってくれました。膝の上に乗せてくれてパチンコ台の丸いレバーみたいなやつを握らせてくれたりもして、うまいうまい、と頭を撫でられとても嬉しかった。床に落ちているパチンコ玉を探して拾い集め、わたしの小さな手のひらいっぱいのパチンコ玉を渡すととても喜んでくれたからわたしもとっても嬉しかった。なんだか今思うととんでもない父親ですね笑。娘を公園にでも連れて行ってやれ笑!!休みのたびにパチンコばかり行きやがって笑!!

幼稚園では毎日毎日ひとりでせっせと園庭の大きめの石をひっくり返して遊んでいました。だんご虫やミミズやハサミ虫が出てくると歓喜です。おままごとやお砂場遊びには全く興味が無くて協調性も無かったからお友達は一人もいなかったけど本当に楽しかった。あとは、幼稚園で飼っているウサギとアヒルにひとりでよく話しかけていました。ウサギが食べても大丈夫な草が幼稚園に生えていたから、よくウサギに草をむしって食べさせたりもしていました。アヒルはカルシウムを食べさせると良いと先生が言っていて、アサリの貝をトンカチで粉々に砕いてご飯に混ぜて食べさせるのを手伝ったりしていました。たまにアヒルが卵を産むんだけど、そうすると先生が嬉しそうに「アヒルさんが卵を産んでくれたから今日はアヒルさんの卵スープよ」とみんなにふるまってくれてわたしはすごく微妙な気持ちでした。味は全く覚えていません。無の境地でただ胃に流し込んでいました。

幼稚園ではたまにみんなで手を繋いで「あの子が欲しいあの子じゃわからん」みたいな遊びをさせられました。
わたしはいつもひとりでマイペースに楽しく遊んでいたからお友達がいません。いつもだれもわたしを欲しがらないし、集団行動が苦手なわたしは本当にその遊びがつまらないし、最後の残り物になるのがとっても恥ずかしかった。ああいう遊びは廃止してほしいなぁ。

家庭でも幼稚園でもなんだか居心地が悪いけど、それでもマイペースに楽しく明るく生きて来れたのはやっぱりおもエロがあったからでしょうか。
たしかまいっちんぐマチコ先生がテレビでやってたと思うんだけど、よくまいっちんぐマチコ先生のまねをして遊んでいました。いや〜んまいっちんぐ♡
幼稚園ではお友達がいないにもかかわらずいや〜んまいっちんぐ♡と言ってはみんなを困らせていました。わたしはすごく楽しいんですよ、わたしはね。でもみんなは反応に困っているようでした。

ある日わたしはもっと困らせちゃおうと思って、クラスの男の子におしりを見せていゃ〜んまいっちんぐ♡とやってみました。そうしたら男の子が思いのほか喜んじゃって、人差し指を立ててもう一回!もう一回!お願い!もう一回!とせがんで来ました。なんだかそう言われるとわたしも嬉しくなってきちゃってサービス精神も湧き出てきて何度かおしりを見せてあげました。この時のクラスの男の子の目の輝きや腹の底から込み上げてきているであろう喜びを目の当たりにした時すごく楽しかったのを覚えています。男の子は両目をぎゅっと瞑り天を仰いで「くぅぅ〜〜!!」と言いながら今にも昇天しそうに喜んでいました。でもこれ以上やるとまずいぞという本能と、先生に見つかったらどうしようという思いが込み上げてきて残念ながらまいっちんぐマチコ先生ゲームはここでジ・エンドです。男性の皆さん、女性が自らやってくれることを、調子に乗ってもっと、もっと、とせがみ過ぎると引いてしまうことがあるのでほどほどにね。

そして、幼心にも人目につくことは良くないと理解していたんでしょうね。そう、良くないことだと理解していたはずなのに…わたしは今あやまんJAPANのライブ中に、乳首を見せるパフォーマンスをやっています。思いっきり人目についてるっていうね笑!誰かが楽しんでくれるなら、喜んで乳首でもおしりでも出しちゃうぞー!!

というわけで、やっぱりわたしはエロや下ネタで世界を救えると本気で信じています。いままでもこれからも、いつも心におもエロを。楽しい時も楽しくない時もいつもわたしのまわりにはおもエロがありました。人生にエロという彩りを!おもエロ最高\(^o^)/
おもエロによって救われて来たわたしの波瀾万丈エピソードをこれからもどんどんご紹介させていただきますので応援の程何卒よろしくお願い致しマッスルスティックーーー!!!

また次回もぜひ楽しみにしててね。

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シャナニストいずみ

会社のトイレでオナニーをするスペシャリスト。プロ雀士。 彼氏と待ち合わせをしたら私服3人と制服1人に囲まれ任意同行された経験あり。(その後慰謝料ゲット)あいつは何をした...

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